乳牛娘たちの生活 その1 ~乳牛の覚醒~

作者:DarkStar

真宮司 静香/和牛交雑種

 人に擬態する能力を身につけた獣 獣人。彼らは古来から存在し あるものは神のように崇められ あるものは悪魔や妖怪 怪物などと人々から恐れられていた。
 時代が進むにつれ 獣の体に人の知恵を持つ彼らと人間たちの間の溝は大きくなり その狭間で疲れ果てた彼らはやがて人から隠れ住むようになっていった。ある者は人に化け 人に紛れて暮らす道を選ぶ者。またある者は獣として生きその血を残すものに分かれていった。
 そして月日は流れ かつて分かたれた 2 つの道は 人は人へ 獣は獣へと時代と共にしだいに血が薄まっていった。
 ところが何の因果か人種の交わりや品種改良による混血により再び血が濃くなることで人間や獣の中から過去の血に目覚める者たちが現代においても現われるようになった。
 自らの血によって変わった姿に困惑するモノたちを救ったのは 元々の血統を維持する子孫。彼らが中心となり 覚醒した同胞たちを保護する活動を始めていった。
 この神華高等学校もその1つ 草食の獣。主に人間に家畜として扱われる獣達を保護することを目的に設立された施設である。

 ――――――

 静まり返った道場に剣道着姿の少女がひとり正座している。長く艶やかな髪を結いあげ背筋をピンと伸ばした姿 清楚でありながら凛とした佇まいは 彼女の意思の強さが伺える。
 瞑想している彼女の雰囲気は重く深刻そうな様子を醸し出している。

 そんな彼女に後ろからゆっくりと近づく人物。

静香しずか。どうした 気の乱れが背中からも感じるぞ
 相手は老齢の男性。ゆっくりと威厳のある声で悩みある孫娘に声を掛けると 静香と呼ばれた少女はゆっくりと目を開けて祖父の方へ向き直った。
申し訳ありません。お爺様
 自分の不甲斐なさを恥じているのか 頭を下げる静香の姿に居たたまれない祖父。
悩みがあるならば 言うてみよ。それで開ける道もあるのだぞ
いえ これは私自身の問題で お爺様にご相談するほどの事では……
 意思が強い というよりも孫が意固地になっている様子を感じ取った老人はふーっとため息をついて続く言葉を紡ぎだす。
先刻の大会ことじゃろう?  特に決勝の相手には 気持ちで負けておったな
 図星を突かれ 一瞬驚くも すぐさま目を伏せる静香。
はい 気迫に負けてしまったばかりか 恐怖で逃げ出しそうになってしまったのです。敵に背を向ける剣士の恥を晒しそうになるのを必死に堪えるばかりで自分が情けないです
そうか……
 悔しそうに顔をしかめる孫娘の姿に老人はただ 一言そういうだけで精一杯だった。
すみません。もう通学の時間なので 失礼します
気をつけてな
 下を向いて道場を出ていく孫娘の後姿を見つめながら老人はポツリとつぶやく。
強い覇気に気圧されるのは我々にはどうしようもない事だ。我らの角は敵を倒す剣ではないのだからな
 そして感慨深く 大きく息を吐いくとこう続けた。
あの 自らの血に目覚める時が近くなっているということか……

 ――――――

 私の名前は真宮司じんぐうじ 静香しずか。今月から神華かみはな 女子高等学校に通う一年生だ。家は古くから剣道道場を営んでおり 祖父を道場主として門下生は少ないが私も日々の稽古に励んでいる。
 しかし 先日の大会では準優勝ながらも決勝戦の不甲斐なさに自信を無くしかけていた。元々 負けん気は強く意思も強い方だと自負しているが どうもここ最近は相手の気迫に押されがちであり格下の相手には負けない だが同格以上の相手の迫力に負けてしまいそうになる。
 一体私はどうしてしまったのか そんな答えの見えない考えに自問自答していると……。
おーい しずかぁ!  待ってよぉ
 手を振りながら 私に向かって声を掛けてきているのは 幼馴染にして親友の潮河しおかわ 裕子ゆうこ。綺麗な栗毛の髪をショートボブにしている快活な女の子だ。どうも先祖に西洋の血が入っているらしく きれいな鳶色の瞳もとても美しい。
 近所に住んでいるので入学式こそは一緒に登校していたが ここ数日はなぜか通学のタイミングが合わず別々に登校していた。とは言っても 同じクラスなので教室に入ればすぐ会えるのだが 朝が弱いはずの裕子が私よりも早く登校している事は不思議に思っていた。そして私が別の違和感を感じたのも 裕子と他愛のない会話を興じるようになって間もなくのことだった。

 私と裕子の周りを漂ういい匂いに 思わずスンスンと鼻を鳴らしてしまう。
裕子。シャンプー変えたのか?
え? そう? 特に変えてないけど
 裕子は昔から他の人とは違うどこか安心させてくれる匂いを発する子だった。だからこそ 私も幼いころから親友として一緒にいるのだが 特にごく最近は彼女と一緒にいるのが何とも心地いい。なぜだろう? と私が不思議に思っていると……。
そっか…… 静香もそろそろ目覚めてきたのかな?
ん? 私はしっかり起きているぞ
いやぁ そういう意味じゃなんだけどね

 どうも 話が嚙み合っていない。裕子が一人で納得しているのも違和感がある。そういうモヤモヤした気持ちもあり 私は最近 親友のもっとも変わった部分についての疑問をそのままぶつけてしまった。
なあ 裕子 その…… 胸が大きくなっていないか?
 ちょっと前までは同じくらいだと思っていたが 最近は目に見えて大きくなってきた。
アハハ そーだねぇ。制服が着られなくて さらしを巻いて少し小さくしているんだ
 なに! 実際はもっと大きいだとッ! くっ けしからん!
でもさあ イイこと無いんだよね~。重いし マジで着られる服が日に日に少なくなってきてるし 男の人の視線は嫌だし。静香だって胸が大きくなったら 剣道するには邪魔じゃない?
 確かに そうかもしれない。だがしかし 何か憧れというか羨ましい気持ちでいっぱいになる。そんな私の気持ちを知ってか知らずか裕子は 私をなぐさめだした。
大丈夫だって 静香のママなんて ホントすごいじゃん。その娘なら大丈夫だって!
 確かに うちの母様の胸はデカい。デカいなんてもんじゃない。そのせいで なのだろうかよく肩が凝ると言っていたので小さい頃はよく肩揉みしてあげていたなぁ。
そういうものか……?

まあ 大きさなんかよりも大事なのは 質と量の方なんだけどね~

 また何か意味深な事を言っているが どうも親友との間に見えない壁のような隔たりがあってしっくりこない。でもいちいち気にしていても仕方がないと気持ちを切り替えて共に学校へ向かう。

 ――――――

料理クラブ?
そっ 先週から入部したんだぁ
 裕子がクラブ活動へ参加するようになったという事に驚いた私は思わず聞き直した。裕子は一見 人懐っこく社交的でありながらも 親密になる者は少なく一定の距離を保つようにしている節がある。かく言う私自身も人付き合いは苦手で 裕子以外に親密になれる人は今までいなかった。
また なんで料理なんだ?
部活の内容って感じじゃなくてになれそうな感じがしたから入部してみたんだぁ

そうか 部員の数はどれくらいなんだ?
えっと……。二十くらいかなぁ

 二十 なかなかの大所帯だな。? いま何かへんな事 言わなかったか?
ん? とう?
え? あっ あああ。に 人だよ 人。二十人……。もう 静香ったら聞き間違ってやだね~
 明らかに動揺している。何か変だ。最近の彼女は不審な点が目立つ。
ねぇ うちの学校って剣道部ないから 授業終わったら道場で稽古するんでしょ?
ああ そうだな
 そう 残念なことに我が校には剣道部がない。まあ 稽古はお爺様が見てくださるので問題ないが これから大会に出るとなると練習量の面で不安が残る。先刻の件もあるし 自分自身も剣道というものにどう向き合っていくのか 考えを巡らせていると裕子から意外な提案が持ち掛けられた。
ねえ 静香もうちの部に入ってみない? 楽しいよ!
 いや 私……。料理は苦手だ。うちは母様が料理上手なんだが 私自身どうも料理をする繊細さに欠けるというか正直に白状するとガサツな性格をしているため向いていない。
 上に兄二人の男兄弟の中で育ち 幼いころから剣道に明け暮れていたせいで お淑やかさなどとは無縁な生活をして来た。そのせいか どうもこういった家庭的な事には苦手意識があり引け目を感じていた。そこを伏せたまま 必死になんとか理由をつけて断ろうをするも。
ねえ 静香さあ そういう逃げ腰の態度って良くないと思うんだ。ほら この前の大会の時だってそうだったじゃん
 と言われたのがまさに売り言葉に買い言葉で そこまで言うなら やってやる と言ってしまった。さすが親友 私の性格をよく知っているのだと 素直に負けを認め放課後 部室である調理実習室にいくことを了承した。

まあ なのはある種 当然の事なんだけどね
 そう小声で言った裕子の言葉は その時の私の耳には入らなかった。

 ――――――

 放課後 裕子に連れられて 調理実習室に入るも人の気配がしない。
ん? 誰もいないのか?
今日は部長に会うだけだよ。ほら 準備もなしにいきなりって事はないからさ~
 なるほど言われてみれば 制服のまま料理ってわけにはいかないだろうし 下準備があるのだろうとその時の私は思っていた。だが 現れた部長さんの言葉はその斜め上を行く話だった。

え? 搾乳さくにゅう
そうよ。朝6時には学校の厩舎に入って貰って作業に入るから
 と言うこの人は 三年生で部長の紗渡さわたり 深雪みゆきさん。この学校は校舎とグランドの他に牧場が併設されており 牛や馬 ヤギなどが飼育されている。……のだが その数が多すぎる。現在でも約三百頭ほど。しかも 夏休みの前までには まだ百頭程増えるとの事なのでさらに驚いた。それでは全校生徒と全教職員を合わせたくらいの数でないか? だいたい一人に一頭の計算だぞ。
 そんな事もあって搾乳作業も本来は飼育委員会の仕事なのだが 採取した乳を使わせて貰う事を条件に料理部も手伝っているとの事だった。
できれば 明日からしばらくの間 毎日お願いしたいのだけれど 大丈夫かしら?
大丈夫ですよ。静香は毎朝 早起きだから全然問題ないです!
 裕子がサムズアップして了解しているが 何を勝手に話を進めているんだ。
なんで裕子が勝手に応えるんだ! 紗渡先輩 すみませんが道場の朝練があるのでそっちに断ってからになりますが

じゃあ 連絡先を交換しておきましょう。早朝の事もあるし何かあった時に連絡が取れるようにしましょう

それから 紗渡先輩 なんて他人行儀に言わないで これからはになるんだから 深雪ちゃん って呼んで

じゃ じゃあ 深雪先輩
 なぜか 仲間 を強調されたが おかしい。まだ入部するとは言っていないんだか私はもうこの部の一員なのだろうか?

裕子ちゃんも明日 搾乳できそう?
ああ すみません。あたし 明日は泌乳ひつにゅう日なんで搾乳係はムリです
そう それは残念ね。でも大丈夫 搾乳は私がしっかり静香ちゃんに教えるから
 ん? なにか聞きなれない単語だ どういう意味だろう。
ひつにゅう?
えーっと。ああ とりあえず 静香は関係ないかな~
ん? そうなのか
 歯切れの悪いのが気にはなるけれど そのうち私にも関係あるような口ぶりなので とりあえずその時になったら聞けばいいだろう。

 ――――――
 次の日の早朝の事。
 あの後 お爺様に道場での朝練をお休みする旨を話したら 意外な事に二つ返事で OK が出た。むしろ そりゃあ 是非 参加させてもらいなさい と後押しされ これからのお前には大事な事だからしっかりと勉強させてもらいなさい とも言われた。
 何か嬉しそうなお爺様の様子を不思議に思いながらも いつもは剣道着で道場にいる時間 制服姿で家の前に立っていた。そんな私に騒がしい声が近づいてくる。
やばい やばい 遅刻だ! 遅刻!
 聞きなれた裕子の声。何やら急いでいるようだが 私と目が合うなり。
げっ 静香!
おい 親友を見て げっ とは何だ
ああ ごめん ごめん。あたし 急いでるから先行くね!
 ジト目で非難した私を置き去りにして裕子は行ってしまった。制服を着ていたので学校に行くのだろうか? 搾乳作業はできないと言っていた これはどういう事だろう?

 ――――――

 初めての乳しぼりは 不器用な私にしては割とすぐに手に馴染む事ができ 数をこなす度にうまくなっていくのが実感できた。
 また私自身 知らなかった特技に気が付きそれにも驚かされた。それは牛の見分けができる事だ。私は人の顔を覚えるのが苦手で名前と顔がなかなか一致しないのだが 牛に関しては一度見るだけでぱっと顔と名前が頭の中に入ってくる。
 はっきり言って 人間の顔なんてちょっと凸凹おうとつがあるだけでみんな似たり寄ったりじゃないか。声も特徴がなく 誰が誰だか分からない。識別するにはくらいだが それだと それなりに親しい相手でなくては難しいだろう。
 だが 牛はそうじゃない。顔や毛並み 角の形 声に至るまで みんな個性があってわかりやすい。名前を覚える牛が増える度にまるで友達が増えたようにうれしい気分となった私は 次々と牛の乳を搾り そのたびに名前を覚えていった。
じゃあ 次はホルスタインの 裕子 ちゃんをお願いね
 深雪先輩に言われて ネームプレートを探す私。

ゆうこ ゆうこ この仔か
潮河 裕子
 頭数が多くて困るのか ここの牛達は 名前ばかりか苗字までちゃんとついている。というか この仔は裕子と同姓同名じゃないか。
 だからだろうか この牝牛めうしは見た目だけでなく匂いまで裕子にそっくりだ。
モォオ? モオオ
 ん 聞けば声まで裕子に似ている。この朝の気だるそうな感じまで本人の特徴そのものだ。
よろしく 裕子ちゃん
 なんか親友と同じ名前をちゃん付けするのは変な感じだ。それに加えて彼女があまりに裕子に似過ぎているので 正直なところ目隠しして どっちが牛で どっちが人間の裕子なのか判別する自信が私にはなかった。それくらい声と匂いはそっくりだ。
 だからこそだろうか なにか緊張する。だって言ってみれば 親友の乳を揉めというのだから緊張しないわけがない。そのせいなのか つい力が入ってしまい思わず 乳首をギュッと力強く握ってしまった。
いっモオオ! 痛いモォオオー
ああ ごめん。裕子!
 痛みに足をバタつかせ 顔を引きつらせ しっぽを揺らす裕子。やばいな これは怒っている。
痛たぁ。全く静香はガサツなんだから
なんだと。は 初めてなんだから仕方ないだろ!
先輩達には気を使って 上手くやってたみたいじゃない。私が相手だったから気ぃ抜いたんでしょ!
それは……。悪かったよ
もう しょうがないなあ静香は……
 ほっ なんとか 機嫌を直してくれたみたいだ。ん? あれ 私はいま牛と会話してた? そう思って注意深く鳴き声を聴いてみる。
モウモウ
 ん 気のせいだな。この仔の声が裕子にそっくりだから きっと幻聴が聞こえてたんだ。
幻聴ンモーなんかモウじゃないモオんだモオけどね

 え?

 ――――――

 次の日の朝。今日の搾乳作業は休みの深雪先輩の代わりに朝からテンションの高い裕子が隣に立つ女生徒を紹介してくれる。
静香。今日は 飼育委員長が一緒に作業してくれるからよろしく!
牧乃まきの 由香里ゆかりよ。よろしくね
 由香里さん? ……ああ 忘れもしない。私が初めて乳しぼりをさせて貰った ブラウンスイス種という少し珍しい種類の牛さん。独特の香りがするお乳は チーズの原料に適していると深雪先輩が教えてくれた。大人っぽい牛さんだと思っていたけれど やっぱり先輩だったな。
 って 違う 違う。彼女は人間で牛じゃない。でも……。いや でも似すぎだろ! と私が一人混乱し 頭抱えていると……。
? なーにやってんだか?
たぶん 人と牛が混同して思考が追いついていないのよ。裕子ちゃんはピンとこないかもしれないけれど 私や深雪は 静香ちゃんと一緒だったから気持ち分かるわ
へー。そうなんですね。基本が変わっていないなら あたしより楽かと思っていました
思い込みって言うのは 意外とやっかいなのよ。でも認めてしまった後は あっさりなんだけど
ああ あたしは逆に 心が体に追いつく方が苦労しました
フフッ そうね。みんな個々の苦労があるわね
 二人の会話に入っていけない。意味はわからないが 私は深雪先輩たちと同じらしいので変ではないようだ。そこが少し安心した。
なんの話ですか?
静香ちゃんも すぐ分かるようになるわ。その時になったら私達は本当の意味で仲間になれるのよ
はあ そういうもんですか
 とりあえず気を取り直し 今日の最初はジャージー牛の 深雪 さん。部長さんと同じ名前というと なんだか昨日の 裕子 じゃないけれど緊張する。その緊張が伝わったのか 深雪 さんは ほんのりと優しいを私に向け。
大丈夫 昨日やった通りやればいいのよ
 ほっ。同じなのは名前だけじゃない。深雪 さんもやさしいなぁ。一気にリラックスした私は乳しぼりに集中する。ただ 採取される濃厚そうなミルクといい香りに思わず……。ゴクリと思わず涎が出そうになるのだが それを必死に吞み込んで我慢しながら作業を続ける。

 ――――――

 そんな感じで数日が経った。あれから 深雪先輩と由香里先輩が交互に指導をいただいて 毎日搾乳作業に励んでいる。え 料理部の本懐はどうしたのか? それは推して知るべし!

 今日は 由香里 先輩の乳しぼりをしつつ 深雪先輩の指導を受けていた。といっても今日の様子で問題なれば 次からは指導なしでいきなり作業をやっていい事になった。
 そしてもう面倒くさいので 私は人でも 牛でも同級生以外は割り切って先輩と呼ぶことにした。
静香ちゃんもだいぶ手馴れてくるようになったわね
そうですか ありがとうございます。でも先輩の指導がいいんですよ
静香ちゃん。ちょっと強過ぎるわ。もう少しやさしくね
はい。すみません。由香里 先輩
 こうして牛さんとの意思疎通もばっちりだ。由香里 先輩は 搾り方の強弱に厳しい。先輩自身は痛みに強いみたいだが 他の仔にやると痛がるかもしれないので細かく指導してくれる。
 ちなみに 深雪 先輩は 搾り残しを許さない。お乳をしっかりと搾り切らないと 病気の原因になるそうなので最後まで気を抜かないように厳しく指導してくれる。
由香里 ともコミュニケーションは ばっちりみたいね。静香ちゃん
はい。私 今まで裕子以外に友達がいなくて…… でも ここの牛達とはみんな友達になれて とても楽しいです
まあ それはよかったわ
それに知らない事ばかりで驚きました
知らない事?
はい 乳牛って もっとたくさんお乳が出すものと思っていました
ああ それね。ここの牛はみんな未経産。つまり 赤ちゃんを産んだことのない牝牛だからよ。ただ 体質的にホルモンバランスの関係で二 三日に一度 泌乳ひつにゅうつまり お乳が溢れてくる日があるのよ
へー。そうなんですね
まあ これは一般的な乳牛とは違う ここの牛たち独自の事だけど 健康的には何の問題もないわ
 そうか 何か体の悪い牝牛おんなのこの集まりだったら 心配だと思ったがそんなことはないようなので安心した。
そうなんですね。やっぱり ここの牛は変わってるんだ。私 乳牛って角がない物だと思っていましたけれど ここの仔たちはみんな りっぱで美しい角があるのでちょっと感動しています
 笑顔だった深雪先輩の顔が突然 曇る。
ああ それは……
 そう言って言葉を区切り 今まで見たことのないような冷たい表情になって。
……。人間達が切り落としているからよ
 その言葉に 私の全身が硬直した。

 一瞬 先輩の言葉が理解できなかったというよりも理解を拒んだ。あれ 体の震えが止まらない。私は自分のコメカミの辺りを両手で抑えながらその事実に恐怖を感じていた。
ツノヲ……キリオトス
 その言葉が脳を支配して離れない。あの個性的で美しい角を切る? 人間に喩えるなら髪の毛をいきなり丸坊主にする……いや そんな物と比べても比較にならない程のとんでもない暴挙だ。全く理解できない! どうして? どうしてそんなことを!
なんでそんな事を……
人間が飼育するのに危険だからよ。彼らは牛の気持ちが理解できないから 怒らせたり気分を損ねたりするの。角を切れば 牛がおとなしくなるのは…… わかるでしょ
 な なんて身勝手な。角が無くなったら不安で不安で しかたないじゃないか。そんな事になったら きっと何もする気力がなくなってしまうかもしれない。
あの。で……でも まっ……また。はっ 生えて……くるんですよね……
 一縷いちるの希望にかけて声を絞り出し すがるように私が尋ねるも 先輩は容赦ない現実を突きつける。
ええ だから二度と生えてこないよう 切った痕に焼きゴテを当てて焼き付けるの
ひぃっ!
 思わず引きつった声が出た。というよりも恐怖の余りそれしかでなかった。角がどこかにぶつけるだけでも どうしてそんな恐ろしいことができるんだろうか。
 恐怖と悲しみ そして人間に対する怒りの感情がぐちゃぐちゃになり ついに涙まで出てきた。声を上げて泣きだしそうになる私を深雪先輩はやさしく そっと抱きしめてくれる。
大丈夫 安心して ここには角を切るような人間はいないわ
ほんと?
 今の私はきっと小さな子供のような顔をしているだろう。だって怖くて怖くてしかたないんだもん。
ええ 目で見るだけじゃなくて 全身で感じて……。あなたの周りには仲間しかいないはずよ
 先輩の言葉に涙をこらえて周りを見渡す。耳で聴き 鼻で嗅ぐ そして厩舎の空気を体全体に感じる。私には牛の声と匂いしか感じない。どう探っても 人間 の気配はどこにも見当たらない。強張っていた体から力が抜けほっと胸を撫でおろす。
ね。いないでしょ
はい!
 まるで小学生のようになってしまった私ではあるが なにかこの場所に受け入れられたような 疎遠になっていた 群れ の仲間に入れてもらえたようなそんな感覚。
 グゥウウウウ~~。
あっ
 安心したせいか お腹が鳴った。なんか恥ずかしい。
フフ 安心してお腹がすいたのね
すみません
いいのよ。じゃあ お乳を飲んでみる?
えっ!
 深雪先輩の思わぬ提案に私は思わず固まってしまった。

 ――――――

 まもなくして 私はホルスタインの 裕子 の目の前に立っていた。
じゃあ 裕子ちゃんのお乳を貰いましょう
いやあ 牛の乳って直接飲んで大丈夫なんですか?
 確か スーパーなどで売られている牛乳は殺菌処理されていると聞いたことがある。お腹を壊したりしないのだろうか。
大丈夫よ。静香ちゃんなら絶対 大丈夫だから
 根拠というよりもよくわからない自信のみで太鼓判を押されてしまった。
私だから?
そうよ。ほら 裕子ちゃんからお乳が染み出てきているわ。早く吸ってあげて
 裕子の乳房から白いミルクが滴り落ちている。ああ 勿体ない。で でも。
ほらっ静香! グズグズしない!
わかったよ
 に促され 私は4つ足になって 垂れたがる乳首に食らいつき そして吸い付く。
 不自然な体勢ながらもどこか懐かしい気分 そして口いっぱいに甘く温かい液体が流れ込んでくる。
モォォオオオオ
 乳を吸われ気持ちよさそうに鳴く美しい牝牛ゆうこの声。近過ぎるせいで ぼやける視界に映る白黒の柄もどこか懐かしい。
 掘り起こされる記憶 思い出されるのは どこかの牧場。
モォオオオオー!
 白い毛並みに黒のまだら模様が映える美しい母牛に呼ばれ うれしさに尻尾を振って駆け寄る幼い仔牛。
モゥモゥ
 まだ 舌足らずな鳴き声を上げながら母牛の腹の下に顔を突っ込んで 舌と唇で乳首を引き寄せて吸い付くそんな情景。
 まるで仔牛になったような。いや 仔牛だった頃に戻ったようなこの感じ。

 そうだ。私は……。
 私は……。 だった。

 そう自覚してからの変化は実にあっという間だった。体温が上がり暑さの余り制服を下着ごと脱ぎ捨てる。全身を黒く厚い毛皮が覆いながら 心もとない胴回りは厚みを増してしく。脆弱な人間の前足は 強靭な前肢へと変貌し 五本の指がして蹄に変わる。顎がして 草食に耐えうるよう歯が強化される。柔らかいだけのお尻には 引き締まった筋力と房のついた尻尾がアクセントになって美しさを引き立ててくれる。四足歩行あるくには不自然でひ弱な後ろ足も 前肢と揃う長さになり しっかりと体を支える心強いものに変わった。そして 頭蓋骨が引っ張られて中の骨が前に付きだしていく。
 ああ これだ! この安心感だ 私が欲しかったのは。だから人間にちょっと脅されただけで 縮こまっていたんだ。

 全身を黒毛で覆う和牛の血を強く受け継いだホルスタイン牛。これが本当の私。

ンモッォオオオオオオオオ!

 喜びの余り私が声を上げると 祝福してくれるかの如く厩舎のあちこちで鳴き声があがる。裕子や由香里先輩も私を祝ってくれ ついさっきまで人の姿だった由香里先輩もすぐ牛に顔を摺り寄せてくれた。
 ――――――
 厩舎の一角 裕子の牛床ぎゅうしょうの隣に 私の名前の入ったプレートが掛けられ 厩舎の中に私の寝床が完成した。
 さっきまでは まったく気にしていなかったのに この草ベッドの質の良さに今は驚愕している。全く。このすばらしさが理解できないのだから人間とは残念な生き物だ。と私がしみじみ感じていると。

静香ちゃんは お母様の調がよかったんでしょう。ここまで完璧に人間に化けられるのはとても優秀な事なのよ。さすがは この地域の主 真宮司家の娘さんね

教育 ではなく 調教
 人間に対してではなく ちゃんと牛として扱って貰えるのが とてもうれしい。どうして私は今までこんな大事なことを忘れていたんだろうか? なんだか もどかしい。

そうそっ。あたしも部長に言われるまで 静香が牛だって全く気が付かなかったんだから。あたしみたいに人間から生まれた牛でも少しは匂いがもれ出ちゃうみたいなんだけど どうすればそんなにうまく化けられるの?
 人間に変身する動物たちを 獣人 と呼ぶらしい。この学校はそんな獣人の保護を目的として設立されたとのことだ。
 私のように両親が共に獣人である者は学校全体から見ても とても少なく珍しいらしい。裕子のように人間の両親から生まれたものが大半を占め 深雪先輩や由香里先輩のように片親だけが獣人なのがその次だそうだ。

まあ 裕子ちゃんは生乳飲んでいきなり牛になっちゃったから ちょっと例外かなぁ
あら どうして深雪は 他の牛のせいみたいに言うの? 深雪の生乳 が原因でしょ
由香里 それは秘密だって……
あなたねえ あれほど飼育委員会が覚醒獣人には対応を気をつけなさいと言っていたでしょ
だって裕子ちゃんがいきなり飲んじゃうんだもん
ええ! それ初耳なんですけど!
 あれ 意外と先輩たちの関係って私達に似ているなと思いつつ彼女らがワイワイやっている姿を横目に私は自身を思い返してみる。
 自分としては人の姿に化け続けていたという事に対して まったく意識したことはなかった。記憶が確かなら 幼稚園へ通うようになって以降は 一度も牛の姿に戻った事は無かったと思う。

 そういえば……。

 再び思い出される懐かしい記憶。幼い頃の私と母様の姿。
しずちゃん。角は隠れたけれど 尻尾が飛び出たままよ
 ゆっくりと穏やかに そして言い聞かせるように優しい声が響く。
ごめんなさい。かあさま
 人間の子供でいうなら ボタンを掛け間違えているようなものだろうか。母様に言われてから しまったと気が付くも私の尻尾は混乱に揺れるばかりで ちっとも隠れる様子がない。
ううん……。うえええん。しっぽぉ かくれないよぉ
 なかなか うまく人間に化けられず 泣き出す私。そんな私を母様はやさしく宥めながら。
大丈夫よ しずちゃん。落ち着いて……。ねえ。尻尾さん 尻尾さん しずちゃんのお尻に隠れてね
 母様が尻尾の根元をさすりながら おまじないを掛けてくれると尻尾がスルスルと体の中に収まっていく。
ああー。しっぽ かくれたぁ。かあさま みてみて
 小さなお尻を突き出して見せる私に。母様は満面の笑顔を見せてくれる。
ええ ちゃんと人間さんの姿になれて しずちゃんはいい仔ね
 そう言いながら やさしく頭を撫でてくれた。牛の姿では舌で舐めてもらう事 人の姿では頭を撫でてもらう事が大好きだった私は飛び跳ねて はしゃぎながら。
えへへ。しず エラい? エラい?
ええ エラいわ
 そうだ。こうやって母様に褒められるのがうれしくて うまく人間に化けられるよう自分を人間だと思い込むようにしていたんだった。それが人間たちの中で生活していく中で いつしか本来の自分を忘れられていったのだと思う。
 こうして考えると私の一生のうち 人間として生きてきた時間の方が長かったはずだ。しかし 牛に戻ってみてから思い出すと人間だった頃はまるで遠い記憶の過去 いや記録映像だけが頭に残ってそれを見せられているように実感が持てない。

 ――――――

 自分が牛であると自覚してから初めての帰宅。正直にいうと家族とどう接したらいいのか困惑している。とはいえ……。
何それ? あたし いま 人間 と一緒に暮らしていて すっごく窮屈なんだけど
 という圧力を つい先ほど別れたばかりの親友から掛けられたばかりだ。
 わたしたちにとって 人間 も肉食動物の一種に違いないのだから一緒にいるのは心が休まらない。
 育ててもらった恩はあるが それ以上に 人間 に対する嫌悪感が強すぎるという裕子の主張は 同じ牛だからこそ理解できる。何せ私自身 人間たちの不快な匂いや彼ら独特の耳障りな声だけで つい体が強張ってしまう有様。そんな私とヘビーな状況に置かれてい彼女を比べられると何も言えなくなってしまうが それでも気まずい事は変わりない。
 どうやって話を切り出そうかと思案しながら家の門をくぐり日課の稽古の為 道場に胴着姿で顔を出すと。一目 私を見たお爺様が 今日の稽古は止めだ といい。父様達が帰ってくるまで 自室で待つように言われた。
 家族が揃うと母様が呼びに来てくれた。そして今度は道場で待っていろとの事だ。なんとなく ずっと胴着姿のままだった私が道場で正座していると ガラっという音と共に道場の引き戸が開け放たれた。
 ゾロゾロと入ってくる六頭もの牛。五頭の和牛と 一頭のホルスタイン。祖父母と父 二頭の兄 そして母。牛たちの体が開き戸をすり抜けると 戸はバネの力でスーッとしまっていた。うちの道場が妙に防音だったり 手でなくても戸が簡単に開けられたり自動で閉じたりするのはこういう時の為だったのか。人間の住居はわたしたちには住みづらいが 隠れた工夫で何とかしているのだとしみじみ思う。

 先頭の老牡牛おじいさま モォオオオオ! と野太い声で一鳴きしたので 私はその場で胴着を脱ぎ去り 人の声帯のまま牛の咆哮を上げ そのまま牛へと姿を変えていく。声が人から牛へのコントラストを奏でた後 最後に私は家族に本来の姿をさらした。

 周りくどいと思うかもしれないが これはきっと私が仔牛ではなく 一頭の牝牛めうしとして家族むれに向かい入れられるための儀式なのだろうということを感じた。

 完全に牝牛となった私の目の前を ゆっくりと歩み寄って来たホルスタインが 長い舌でゆっくりと私の頬を舐めてくれる。ああ これだ。仔牛の頃 よくこうやって母様に毛づくろいしてもらっていた。久しぶりの感触にうれしくて尻尾を振りながら 私は立派な牝牛に育てて貰った感謝を伝える為 母様の体へ舌を這わせる。そんな母仔の姿を黒毛の和牛たちは暖かい目で見守ってくれた。

 ――――――

 こうして 私は料理クラブに所属するとして加わる事なった。牛であることを自覚した私にとって まだ人間が多く混じっている自分のクラスにいるよりも仲間に囲まれているこちらの方が心地よい。料理の腕は まあ以前に比べれば進歩は見られるようにはなっただろうか。また搾乳はするよりも される方が断然いい。あの日以来 牛として体の成長が見られたのか 人の姿でいる時でも胸が大きく張り 二日置きくらいに泌乳の日を迎えるようになった。その日は乳牛に生まれた幸せを嚙み締められ 部の中でも乳量が多い方だというのが 最近の私の密かな自慢だ。
 自分には剣道しかないという固定観念から解放され今は別の道を模索しているが それ自体は今も続けている。兄様方が人間と競う事に重きを置いている反面 私は己を鍛える事に重点を置きたいと思っている。これはおすめすの違いというよりも寧ろ役牛えきぎゅう乳牛にゅうぎゅうとの違いだろう。毛並みこそ和牛と同じだがホルスタインの血を強く受け継いだ私ならではの選択である気がする。どこか ちぐはぐだった人間おんなとしての生き方よりも馴染むめすとしての生活に確かな手ごたえを感じて 私は充実した日々を過ごしていた。

 ――――――

 入学してそろそろ一月ひとつきが経とうする頃。息苦しかった教室は少しずつ快適な空間へと変わっていき 日に日に薄れていく人間の声と匂いに安心感を持ちながらも まだまだ気を緩められない微妙な時期を迎えていた。
みんな この学校にんで来ているみたいだな
そうだね。友達同士でも形成されてみたい出し いい傾向だね
 そんな中 ふと気になるものが目についた。どのグループむれに属さず 教室の中で ぽつんと物静かに本を読んでいる生徒の姿。きれいな金髪と青い瞳を持ち 西洋の血がかなり色濃く出ている容姿は このクラスでは少し浮いて見えるのが何とも切ない。
 自分の悩みが解決し心に余裕ができた私と裕子は 今だ人間の世界に囚われている不幸な仲間に手を差し伸べるべく彼女に向って歩を進めていた。
綾光路あやのこうじさん
 私が声を掛けると彼女は本から目を逸らして向き直り ちょっと困った表情になった後。
あら えっと…… 真宮司さん? と……。潮河さん? でしたかしら
 おずおずと自信なさげな彼女の様子は どうも人間の顔形の区別ができていないみたいで親近感が持てる。それにしても綺麗な 牛の声 だ。鈴が転がるような という表現は彼女のためにあるように思う。
うん そうだよ。クラスメイトなんだからそんなに緊張しなくても
 裕子の軽いノリも こういう時は心強い。
すみません。わたくし。人を覚えるのが苦手で もう一ヶ月にもなるのというのにクラスのほとんどの方のお名前とお顔が一致してませんの。ですから……
 うつむいて恥ずかしそうにしている彼女の姿は居たたまれない。彼女が悪いわけじゃない。むしろわたしたちが区別できないような顔をしている人間という生き物自体が悪い。

 間違いない 彼女は だ。

 そうと知ったからには もう放って置くことなどできるわけがない。早速 私達は料理クラブに彼女を誘って見た。私的にはどうかなと思っていたが 意外にすんなりと話は進み 今日の放課後には部室に来てくれる事となった。
 牝牛同士だからだろうか その後も話が弾み まるで旧知の友のような距離感に変わった頃。わずかに目を細めた綾光路さんは私と裕子の匂いを注意深く嗅ぎ始めた。彼女自身は無意識で行っている行動だろうが 人前でうっかり見せる牛の本性に私達は まるで母牛になったような微笑ましい気分となり 穏やかな顔で彼女を見つめていた。彼女はそれに気が付いたのか。
すみません。わたくしったら まだ お友達でもない方の匂いを……
 人間に聞かれたら不振に思われる発言ではあるが 幸い聞いているのは私と裕子の二頭ふたりだけなので問題ない。顔を赤くしている彼女も実に可愛いらしい。
何を言っているんだ。私達はもう友達だ。気にすることはない
ありがとうございます。真宮司さん
 ぱっと表情が明るくなった彼女だが ぎこちなさは取れていない。
ダメダメ そんな他人行儀な。あたしの事は 裕子 って呼んでよ
私も静香でいいぞ
では 裕子ちゃんと…… 静香ちゃんで わたくしの事も下の名前で呼んでください
じゃあ ちーちゃんね! よろしく!
 親しいモノにはあだ名をつけるのは裕子の癖だ。そう言えば ちいさい頃は私を しーちゃん と呼んでいたな。だが今 が呼び捨てするのはだからな。って何を自慢しているのだ! などと邪念を振り切り。
よろしく 千尋ちゃん
 私が差し出したその手を両手で握り 笑顔をつくった彼女。
はい 宜しくお願いします
 それから数日後 私の隣の牛床ぎゅうしょうには 綾光路あやのこうじ 千尋ちひろ の名が掲げられ 美しいジャージー牛が搾乳されるようになるのだった。